水仙月の四日の雪童子の描写の中で、‘りんごのような~’という表現が何度か出て来ます!
頬や顔の様子を表していて、これはイメージしやすいですよね!
しかし、物語の最後の方で‘その息は百合のやうにかをりました。’とあります。
この百合にこめられた意味…、、。
花言葉は純潔。
物語では白百合とは書いていませんが、ある一説では、蓮華の花の例え…つまり仏に近い存在や、そのような純潔な志しを持っているという意味に使われたりしているという…。
百合…。
西洋の画家も、この花には一目置いていたみたいです。
今年日本に展示されたレオナルド・ダ・ヴィンチの‘受胎告知’の中で、大天使ガブリエルが左手に百合の花を携えています。ベリーニや他の画家の作品にも天使と百合が一緒に描かれています。
私の演じる、最後の方の雪童子は、、天使のように、けっして見返りを求めたりしない、純潔な思いで子供を助けた。だから、息が百合のように香ったんだと思っています。
それは、、始め、雪童子は赤毛布の子供が羨ましかったり、嫉妬していたり、昔人間だったかもしれない自分の朧気な記憶に葛藤して、ちょっとおどしてやります。
しかし、雪婆んごが来てからは、暖かい家庭を思い出して子供を助けようとします。
いつも、100%天使じやないし、純潔でもない…。だけど、助けようと思った気持ちは100%以上のものだった…ということを‘百合’と表現したのではないかと思ってます。
あれ、これって、またまた珍説?!
ま、、私はそう信じてます!